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生涯現役で働く

人生100年時代となり、松下幸之助が「青春とは心の若さである」と言っているように、いくつになっても元気で若々しくありたいと願う人は多いのではないでしょうか。

本コーナーは、『PHP増刊』とのコラボ企画として、現役で活動されている

シニア世代の方にお話を伺い、しあわせに生きるヒントを見つけていきたいと思います。

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第13回

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「働いていればお天道様はついてくる」

 金属加工会社社員 青山陽子さん

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 明治21年創業の加藤製作所(岐阜県)は、特殊な金属加工技術を持つ総合加工メーカーだ。現在、同社で働く60歳以上の社員は40名。勤続7年目の青山陽子さんは、最高齢の79歳だ。小柄な立ち姿ははつらつとしていて、ショートカットの髪からのぞく耳にはピアスが光る。

 「この歳まで自分を生かすことができるのは、働き続けているから。そしてそれを楽しんでいるからです。ここには85歳まで居すわるつもりですよ(笑)」そう話す青山さんは、いたずらっ子のように微笑んだ。​そんな青山さんに、生涯現役で働くヒントを伺いました。​

第12回

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「五十五歳から未経験の分野に」

 ガソリンスタンド監視員 手塚義倫さん

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 「手塚義倫です。本日はよろしくお願いします」頭を下げる姿はとても80歳とは思えないほど若々しい。見た目もそうだが、それ以上に雰囲気が若いのだ。この若さの秘訣はどこからくるのか。「なんでしょう。仕事にストレスがないからかな」屈託なく笑う手塚さんの仕事はセルフサービスのガソリンスタンドの監視員である。

 このガソリンスタンドで働き始めて10年以上。本当に居心地はよさそうだ。だが、手塚さんの若々しさの秘密は職場環境だけではないはず。手塚さんの生き方、考え方を聞くうちに、生涯現役で働くうえで大切ないくつかのポイントが見えてきた。

第11回

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「後進に道をゆずり、うしろで支える」

 建築士 鈴木八恵児さん

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 取材場所となった会社事務所の入り口で、誠実そうな男性が背筋をピンと伸ばして待っていた。鈴木八恵児さん、81歳。リフォーム事業を中心に行う株式会社さくら住宅の一級建築士だ。

 鈴木さんは物腰がとても柔らかく、周りの人を気遣いながら、集団の最後尾を目立たないように控えめに歩く。

「老いては子に従え、ですから」インタビュー中、何度も聞いた鈴木さんの言葉だ。

 一級建築士というだけなら、世の中に有資格者はたくさんいるだろう。だが、81歳という年齢の今も、ここまで必要とされる鈴木さんには、どんな魅力があるのだろうか。

第10回

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「働くことで、人の喜ぶ顔が見たい」

 食堂業務補助 渡邉恭子さん

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 静岡県にある工場の食堂に、丁寧な仕事が評判の女性がいる。「私のことなんて、記事になりませんよ。ほんとにただのおばさん、いえおばあさんですから」そう笑って話すのは渡邉恭子さん、86歳だ。

 ビルメンテナンスなどの事業を行なう静岡の企業・株式会社共同から、ジッパーつきの袋を生産する工場に派遣され、食堂の清掃や衛生管理を担当してもう5年になる。        

​ 年齢制限のない職場環境が渡邉さんの現役生活をあと押ししているのは間違いない。だが、渡邉さんが長く現役でいられる理由はそれだけではないようだ。

第9回

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「ご縁を大切に、誠実に働く」

 シャッター設計士 金井伸治さん

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 事務所につながる外階段をのぼっていくと、なにやら楽しそうなざわめきが外に漏れ伝わってきた。東京の下町、足立区にある横引シャッターは、高齢者を積極的に採用している会社である。            

 「こんにちは」。温和な表情で出迎えてくれたのは、横引シャッターで最高齢の金井伸治さん(80歳)。大手電力会社に勤務していた金井さんは、これまで培った技術を生かして、この会社で店舗や事務所、ビルのシャッターの設計をしている。

​ 技術者としての矜持を胸に働き続ける金井さんに、生涯現役で働くヒントを伺いました。

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第8回

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「人より少し余分にやる」

 オリーブ生産者 三宅佳男さん

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 「オリーブの島」として有名な香川県小豆島。その土庄港から車で約10分の「小豆島ヘルシーランド」に到着すると、作業着姿の三宅佳男さんが笑顔で迎えてくれた。

 約110名の社員が働く小豆島ヘルシーランドの主要事業は、オリーブを使った化粧品や健康食品の開発・販売だ。三宅さんは、ここに40年以上前に入社した。

 まったくの未経験だったオリーブづくりを60歳から担うようになり、80歳になる今も、4.53ヘクタールの自社農園に植えたオリーブの世話をしている。

​ そんな三宅さんに生涯現役で働くヒントを伺いました。

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第7回

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「人の人生を看る」

 高齢者総合福祉施設 顧問 細井恵美子さん

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 デイサービスの談話室では、レクリエーションや入浴を終えた利用者たちが、お茶を飲みながら介護スタッフとの会話を楽しんでいた。一緒に笑いながら、利用者一人ひとりに目を配るのは、91歳の細井さん。

 京都の高齢者総合福祉施設「山城ぬくもりの里」で、今も介護の現場に立ち続けている。利用者の多くは、細井さんよりも年下。相手のことを深く知りたいという気持ちから、最低でも1日30人に話しかけ、利用者の心を開いている。

​ そんな細井さんには、生涯忘れられない2つの光景があったという。

第6回

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「足腰を鍛えて、好きなことを自由にやる」

 工場スタッフ 紺野英彦さん

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 背筋のすっきり伸びた男性が、足どり軽く工場の敷地を進んでいく。ぐんぐん歩いていった先には、全長16メートルを超す巨大なタンクローリーがあった。タンクローリーで運ばれた液化天然ガスを安全に工場のタンクに移す、82 歳の今も働き続ける人を訪ねました。

 紺野さんは、高齢者雇用を行なう、その名も「高齢社」という会社に所属する派遣社員だ。この会社は、定年を迎えてもまだまだ元気な高齢者に、働く場と生きがいを提供しようと、2000年に設立された。紺野さんの高齢社での勤務は通算17年におよび、派遣者の中でとうとう最高齢に。

第5回

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「イギリスの紅茶文化を日本に」

 ティールームオーナー 宮脇 巖さん

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 スコンの焼ける甘い香りが店いっぱいに広がる。東京・麻布十番にある「ジュリスティールーム」では、本場・イギリスのアフタヌーンティーを味わえる。店内では、ロマンスグレーの男性が優雅にサービスをしてくれる。宮脇巖さん、78歳。厨房でスコンやケーキを焼くオーナーシェフの樹里さんの父親である。

 英国紅茶協会が選ぶ「トップ・ティー・プレイス」賞をイギリス人以外の外国人として初めて受賞したこともあるティールームを訪ねました。

第4回

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「働くことは生きること」

 料亭スタッフ 赤羽裕三さん

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 多くの著名人に愛される鎌倉の老舗料亭「御代川」。ここに、62歳から20年以上働く赤羽さんがいます。赤羽さんは、元自衛官。自衛隊では、整備や補給を担当するロジスティクス部門として、入間基地に配属。25歳で結婚し、30歳のときに義父が経営する会社を手伝うため退官することに。62歳の時に会社を引退し、悠々自適にテニスクラブに通っていた赤羽さんは、電車でスーツや作業着姿の人を見かけると、働いていない自分がひたすら虚しく思えたとおっしゃいます。

 働くことで幸せな瞬間を得たという赤羽さんにお話を伺いました。

第3回

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「笑って苦労を乗りこえる」

 おやき製造・販売員 大久保晴美さん

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 大久保さんは農家の次女として生まれ、子どものころは両親の手伝いを。20歳で結婚して家を出るも、長男が生まれて間もなく夫が病気で他界。赤子と2人で生きていかなければならず地獄の日々に。そんな中、29歳のときにトラック運転手だった今の夫と出会い再婚、3人の女の子にもめぐまれました。しかしトラックの購入費や維持費で借金ができ、すべて返し終わったのは今から5年前。

 苦労のたえなかった人生を無我夢中に働いてきた大久保さんにとって、生涯現役で働く秘訣とは。

第2回

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「地域の力になりたい」

 保育園で働く80歳と76歳の夫婦 青木豊司さん、圭子さん

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 香港旅行の旅先で出会ったお二人は、1972年に結婚。3人の子どもに恵まれ、家族5人、幸せな日々を過ごしてきました。ですが豊司さんが51歳の時に突然仕事を失うことになりゼロからのスタートに。保育士の資格を持つ圭子さんはすぐに仕事に復帰し、豊司さんも周囲の助けもあり再就職し67歳まで働き続けました。まだまだ働きたかった豊司さんは、三女が通っていた保育園の見守り職員の職を見つけ、夫婦共働きで現在まで仕事を続けられています。

 夫婦円満で働き続ける秘訣についてお聞きしました。

第1回

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「自分の技術を社会に還元したい」

 ベンチャー企業フォトシンスで働く81歳のエンジニア 深谷弘一さん

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 深谷さんは東京都目黒区の出身で1941年生まれ。NECのエンジニアとして定年まで働き、定年後も好きな仕事を続けようと、マレーシアの若い技術者の指導者として活躍。その後、73歳の時にシニア向けの求人サイトで、IoTの関連機器を開発するフォトシンスと出合い、若者6人で立ち上げたばかりのベンチャー企業へ再就職されました。

 フォトシンスは今では従業員167名の東証グロース市場へ上場する会社に成長し、この会社がさらに発展することを深谷さんは楽しみにされています。

 そんな深谷さんの働き続ける秘訣とは。

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